らもすいずむのフットボールログ。

多角的な観点でフットボールを読み解きます。時には戦術論、トレーニング論、マーケット論。常に本気でフットボールを思考する。

書評〜俺はズラタンだ!『聞くが聞かない』それが俺流のやり方だ。〜「I AM ZLATAN」

 【ズラタン・イブラヒモビッチとは】

 イタリア代表、スペイン代表、そして日本代表も2014年ブラジルW杯グループリーグ敗退を喫し、母国へ帰国した。しかし、大物選手であってもW杯のピッチに出れない選手がいた。スウェーデン代表ズラタン・イブラヒモビッチである。アヤックスユベントスインテルバルセロナACミラン、PSGというビッグクラブを渡り歩き数々のトロフィーを手にした男である。

 

 ストライカーとしての資質を持ち、才能溢れるテクニックとゴールセンスを持ち合わせる希代のゴールゲッターのこれまでの歩みを自身の言葉で綴った彼の自伝を今日は見ていくことにしよう。

 

イブラヒモビッチ自伝】

 日本語訳が出版され、一時期話題に登った本である。特徴なのはその書き口と一人称である。冒頭部から早々とバルセロナ時代のジョゼップ・グアルディオラ監督とバルセロナというクラブの哲学を否定している。また翻訳家の沖山ナオミさんの配慮とも思える表現方法だが、文中の一人称が「俺」で統一されていることが読者により興味を持たせている点である。最初にAmazonの内容紹介からの引用である。

 

 

I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝

I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝

 

 

 

人口1000万人の本国スウェーデンで50万部を超えるベストセラー!

あの「ハリー・ポッター」さえをも凌駕する空前の大ヒット自伝、ついに邦訳!

「他の人と違っていいんだ。自分を信じ続けるといい。

世の中いろいろあるけれど、俺だって何とかなったぜ。」

貧しかった少年時代から、一躍スター選手の座に登りつめ、

現在にいたるまでの半生を綴った初の自伝。

グアルディオラ監督との確執、移籍の舞台裏、チーム内の人間関係など、

業界人が青ざめるようなエピソードも満載。

イブラヒモビッチ自身による赤裸々な言葉が詰まった本書は、

ユーモラスなのに毒もあり、深い愛にも満ちた稀有な自伝に仕上がっている。

 

「俺はキレたプレーをするために怒り狂ってないといけない」

「俺は記録的な価格で売られたい。歴史に名を残したいんだ」

「俺は誰にも似ていない。ズラタンはオンリー・ワンだ」

「マフィアだって? いいじゃないか。上等じゃないか。会わせてくれよ」

「尊敬は得るものではない。つかみ取るものだ」

ミランは最強だったが、俺の気持ちはインテルに傾いていた」

「うるせえ。俺はこの2本の足で、自分の家を手に入れたんだ」

モウリーニョが“スペシャル・ワン"だということは知っていた」

「俺が喉から手が出るほど欲しかったのは、チャンピオンズリーグのタイトルだった」

「“普通"とは違う人間をつぶそうとする行為を俺は憎む」

ほか

 

【犠牲になったズラタン

「俺はクラブ所有のアウディを運転して、高校時代のようにいつも頭を縦に振って過ごしていた。いや、高校時代にあるべき姿で過ごしていた、という方が正しいな。バルサでは、チームメイトを怒鳴りつけることもなかったんだぜ。それはズラタンズラタンじゃなくなってことさ。勘弁してくれよ。〜中略〜こんなに弱腰になったのはそのとき以来のことだぜ。」(12項より引用)

 

 

 念願のバルセロナに移籍した、イブラヒモビッチ。でも彼を待ち受けていたのは素晴らしいフットボールクラブではなく、ただの牢獄でしかなかった。イニエスタ、シャビ、そしてメッシというスターは皆それぞれの己はなく、バルサという独自の集団生活によってフットボールを行っていた。そこでは自分らしさ、つまり本書で言うなれば“ズラタンらしさ”が失われていく他になかった。日々の生活の中でストレスが貯まる、その中で彼ははけ口を探していたのであった。

 

 そのストレスはシーズン中のオフで吐き出すことになる。それがグアルディオラとの決定的な亀裂へと繋がる。

「クリスマス休暇に入った。俺たち(イブラヒモビッチとその友達)はスウェーデンのオーレ・スキー場に行って、スノーモービルをレンタルした。俺は生活がつまらなくなった時はいつも行動を起こす。気が狂ったように運転するのさ。時速325キロ出してパトカーを巻きながらポルシェをぶっとばしたり、今考えてもゾッとするほど、無謀なことを何度もしでかしたよ。その休暇中は山にこもってスノーモービルで突っ走った。凍傷にやられながらも、ただ夢中になって走り回った。」(13項よりの引用)

 

この事件がバルセロナグアルディオラ)との冷戦の引き金になった。グアルディオラは真面目で、真剣にチームのことを考えているがオフに全身凍傷まみれでチームに合流するイブラヒモビッチに対して疑念を抱くのは当たり前のことであった。

 

 そしてメッシが主張する、これが0トップの始まりであった。

「そんなころリオネル・メッシがくだらないことを言い出しやがった。メッシは確かにうまい。飛び抜けた選手だよ。ヤツのこと詳しいわけじゃないが、俺とまるで違うことは確かだ。13歳でバルサに入って来てこの環境で育っているんだよ。〜中略〜俺はメッシよりゴール数が多かったんだよ。あいつはグアルディオラに頼みやがった。『右サイドではなく、センターでプレーさせてください』センターには俺がいた。俺様がいたんだよ!だが、グアルディオラはそんなことお構い無しさ。さっさとフォーメーションを変えやがった。4−3−3から4−5−1にだ。俺をワントップにして、すぐ後ろにメッシだ。おかげでおれはすっかり亡霊になっちまったよ。ボールは全てメッシに集まった。俺は自分のプレーができなくなった。俺はピッチ上では鳥のように自由に羽ばたいてないと力を発揮できないんだ。いいか、俺はあらゆるレベルで違いを出せる男だ。しかし、グアルディオラはそんな俺を犠牲にしやがった。これが真実さ。俺は高い位置に取り残された。」(14項より)

 

 メッシのプレーセンスとビジョンを活かす為にグアルディオラが考案した、0トップ。しかし、その犠牲者となったのはイブラヒモビッチ。これはメッシが成長してからFW全員に共通している問題であり、メッシに勝てないFWをセンターに置かないという超実力主義バルセロナにおける競争であった。エトーイブラヒモビッチボージャンというFWたちは同じ問題を抱え、バルセロナを退団した。イブラヒモビッチは本人の語る通り、イブラが居ればそれだけで戦術にもなりうるFWとしては超人的な選手である。そんな彼はメッシの縁の下の力持ちになることは不可能であったのである、それが彼のエゴイズムであり、キャラクターでもある。

 

【「行き先はレアルマドリードです」】

「ほどなくして、南アフリカワールドカップが始まったが、俺はほとんど見なかった。見たくなかったよ。スウェーデンは予選落ちしていたし、サッカーのことを考えたくなかった。しかしそんな時間もすぐに過ぎ去り、帰国の日はやってきた。またもや現実に直面せぜるを得なかった。一体どうなるのだろう?どうすればいんだ?自問する日々が続いた。解決方法はひとつしかないことは明らかだった。それはバルサを出て行くことだ。せっかく手に入れた夢をこんなにも早く捨ててしまうのか……。」(351項より)

 

 シーズンが終わり、オフをアメリカで過ごしていたイブラヒモビッチにとってバルサ退団というのが色濃くなってきた。それが彼のフットボールキャリアを傷つけない最善の策であると同時に、グアルディオラにとってもイブラヒモビッチは余計な存在でしかなかったのである。

 

 バルサで初年度22ゴール15アシスト、これが彼の残した成績である。オフからスペインに帰国したイブラヒモビッチグアルディオラと新シーズンについて話し合ったが、イブラヒモビッチに居場所はなかった。ダビド・ビジャの加入も相まって、彼はクラブから出ることを確信した。そして新しいクラブを探した。イブラヒモビッチは代理人のミーノ・ライオラとともに移籍話を進めた。彼らの狙いはイブラヒモビッチマンチェスターシティもしくはACミランへと移ることであった。シティは新しいオーナーの元に湯水のように資金を使い、選手を補強する。このプロジェクトにイブラヒモビッチは虜になっていたことやイングランドという新しい環境へ挑戦するという面で魅力的であった。一方、ミランユベントス時代に移籍話が出たが資金面で獲得に前向きでなかったことに加えて、インテルからの誘いに応じた為ミラン行きはなくなってしまったという経緯があった。

 

 2つのどちらかに行くために彼らは新しく会長に就任したサンドロ・ロセイ会長に行きたいクラブがあるか?と訊かれ、「レアルマドリードレアルマドリード」と何度も繰り返した。実際にレアルマドリーは新シーズンにジョゼ・モウリーニョ監督が就任していた。インテル時代でモウリーニョ監督の元でプレーした経験のある彼はモウリーニョと相思相愛だと述べた。バルセロナにとって、マドリーに行かれることが最も困るバルサ(金銭的な意味も含めて)は価格を下げてまで他クラブに売ろうと必死になっていた。8月25日に行われたカンプノウでのバルセロナ×ACミランの親善試合が大きなきっかけになった。ピルロガットゥーゾネスタアンブロジーニそしてこの試合の主人公であるロナウジーニョが異口同音にイブラヒモビッチミランに来るように誘った。そして物事が前向きに動き出した、バルサは2000万ユーロという破格でミランに売り渡すことにまってしまった。たった1シーズンで5000万ユーロも浪費したのであった。

 

イブラヒモビッチと監督論】

 イブラヒモビッチは代表チーム、クラブチームで多くの監督に指揮された。

ユベントス時代の監督であるファビオ・カペッロイブラヒモビッチはこう表現している。

「『尊厳は得るものではない。つかみ取るものだ。』〜中略〜彼は選手と友達のようには接しない。気軽に話しかけられる雰囲気ではない。言ってみれば鉄の曹長のようなものだ」(206,207項より引用)

 カペッロとそのアシスタントであるイタロ・ガルビアーティという2人がイブラヒモビッチを成長させた。彼らはイブラヒモビッチファン・バステンのように生粋の点取屋になることを求めた。アヤックスでは華麗なテクニックやドリブルというのも彼のポイントであったが、ゴールネットを揺らす為だけにトレーニング後の居残り練習を何日も続けて行われた。50発、60発、100発とデルピエーロトレゼゲといった選手たちも過去に取り組んだものであった。

 

「イタリア流を叩き込め。お前は生来の殺し屋になるんだ。」(209項より)

と鞭を打たれたイブラヒモビッチ。彼のやり方である、「聞くが聞かない」はここでも発揮された、ゴールを奪い虎視眈々と狙う戦士であると同時に周囲に認められるアクロバティックやテクニカルなプレーも続けた。さらに、イブラヒモビッチユベントス時代で現在の身体を手に入れることになる。196センチに対し、89キロしかないことに注目され98キロまで増やし屈強な守備人に対して当たり負けない武器を手に入れたのであった。この頃の彼はカペッロに、一流の選手として育ててもらったと表現した方が正しいのかもしれない。

 

 それに比べてインテル時代のモウリーニョに対して、こう評価している。

モウリーニョは実際にスペシャル・ワンだった。その後彼がインテルの指揮官になったんだ。俺はどんなに厳しい命令を受けても従っていこうと覚悟していた。そのモウリーニョがユーロ2008の開催期間中、突然俺に電話してきたんだよ。驚いたぜ。『一緒に働くことになって嬉しいよ。会うのを楽しみにしている』、それだけだった。〜中略〜モウリーニョは本当に興味深い人物だと思ったよ。」(316,317項より引用)

 

 モウリーニョインテル1年目でいきなり選手に対する人心掌握術を披露する。選手のモチベーションを鼓舞するにあたり、色んな側面で発揮する。それはインテルでのイブラヒモビッチに対しても同じであった。ハーフタイム中でのイブラヒモビッチとのやり取りも紹介されているが、それはとても素晴らしいものであった。対比として本書にグアルディオラも描かれているが、浮き彫りになったのはグアルディオラのビジネスライクな要素としての欠落であった。この本を読むと様々な面でグアルディオラバルセロナというイブラヒモビッチにとって憎むべき存在が表されている。だが、肝心なのは彼にとっての主観であり客観的な評価ではないという点である。

 

 モウリーニョは結果的にインテルの2年目でビッグイヤーを獲得することになる、モウリーニョイブラヒモビッチは1年しかインテルで共に戦っていないがイブラヒモビッチはこう記している。

 

「俺たちに喝を入れた。予期しない動きで俺たちを刺激した。この男はチームのために全精力、全エネルギーを使っていた。俺も彼のために全ての力を尽くそうと思った。彼にはそう思わせるだけの資質があった。彼のためなら人殺しさえ厭わない。俺はおう思った。〜中略〜モウリーニョはこうやって、選手をへこませたり、自信満々にさせたりする。選手の心を自由自在に操った。」(318,317項より引用)

 

 イブラヒモビッチにとってモウリーニョはそれだけの偉大な監督であったということである。イブラヒモビッチは貧しい地域に生まれた混血の選手である、しかしそこから伸し上がる過程は並々ならぬモノであった。だからこそ、会う人、ライオラやマルメ時代の監督、スウェーデンのコーチ・監督、カペッロモウリーニョグアルディオラ、そしてメッシと様々な人に対して独特の感想を抱いていたがそれは彼の経験値に基づいた評価である。彼には彼の生き方がある、「聞くが聞かない」この流儀そそ彼を成長させた大きな要素かもしれない。

 

 

【ミラノからパリへ】

 この自伝にはミランからパリサンジェルマン(PSG)へという移籍については書かれていない。だが、読む過程でその移籍に対してある程度予測することは難解ではない。ミランへ移籍したイブラヒモビッチだったが、彼のサラリーはミランの財政状況に対して重荷になっていたことは間違いない。それに加えて金満チームの行う新しいプロジェクトへ好意的なイメージを抱いていたことである。新たな野望やその将来性という面でイブラヒモビッチは惹かれたのだろう。そしてチームメイトであるチアゴ・シウバとキャリアの最長期を過ごしたセリエAの名将であるカルロ・アンチェロッティ監督の誘いであろう。

 

 彼は現在もパリの地で輝きを放っている、キャリアの中で最盛期を過ぎたかもしれないがこれからもその貪欲な精神で伸し上がっていくに違いない。

 

 

【つぶやき】

 今回はイブラヒモビッチの自伝を取り上げました。非常におもしろかったです、購入したのは半年くらい前で久しぶりに読んだらネタになるかなーと思って記事にしました。イブラ以外にもベッカムファーガソンドメネクなど読みましたが面白かったです、面白くない本も有りますが邦訳されたものは基本的に当たりが多いです笑

 

 日本も負けてしまって、W杯ムードは下落してしまうかもしれませんがトーナメントの本戦はこれからです。それぞれの応援する国を応援しましょう。ちなみにマッチレポートの方はかなり遅くなると思います、スポーツナビの方で4試合くらいやりましたが2回観ないとエントリーのレベルが落ちていると思うので。面白い試合あったら、コメント欄に意見下さい。お持ちしております。