らもすいずむのフットボールログ。

多角的な観点でフットボールを読み解きます。時には戦術論、トレーニング論、マーケット論。常に本気でフットボールを思考する。

メッシの無力さと“フットボールのガラパゴス”

 

【敗者になったメッシ】

 ブラジルW杯、隣国で開かれた大会においてリオネル・メッシはトロフィーを持ち帰ることは出来なかった。メダル授与で受け取ったメダルも階段を降りる際に首から外してしまった。彼の不本意なW杯に焦点を当ててみることにする。

 

 延長後半の最後のFK、ゴールから距離はあったが彼の放ったボールはゴール前方に入り込んだ味方選手ではなくゴール上方に飛んでいった。自分のボールの軌道を見て、立ち尽くすと同時に数分後にドイツの優勝を決定するホイッスルが鳴らされると終わったというような表情をした。

 

 今大会のアルゼンチンを振り返るとメッシの為のチームと言っても過言ではないように感じられる。ハビエル・マスチェラーノを筆頭に、ビリア、ガゴ、アンヘル・ディマリアエセキエル・ラベッシといった選手たちは守備のタスクを課されられた。DFラインの選手達は泥臭い守備を厭わずに、失点を最小にするように努力した。だが、一方のメッシはボールを貰いチャンスを作り出すことだけを考えていた。そう、攻撃専門の選手としてしかピッチ上で働いていなかった。この構図は古典的なフットボールの図式であると同時に、働き蜂と女王蜂の関係性と酷似していた。結果的に決勝まで駒を進め、チームを準優勝まで導いたと言えば聞こえは良いが、本当にキャプテンとしてあるべき姿かと問われればそれは決して誉められたものではなかったと感じる。

 

 トーナメントでは僅か1アシストのみ、これが彼の正当な評価であると同時に、今大会で受賞した大会MVPというタイトルが皮肉にも感じられるのは自分だけであろうか。

 

 クラブでのメッシ、つまりバルセロナでのメッシは好きだが、アルゼンチン代表のメッシは嫌いと公言するアルゼンチンサポーターの声に納得してしまう。決勝戦の折、ラベッシのパスからネットを揺らしたイグアインは喜びを爆発させるがそのプレーは惜しくもオフサイドの判定となってしまう。イグアインは判定に対して抗議の顔をするが、メッシはイグアインに声を掛けることもなく後退してしまう。本来ならば、そこにあるのはチームメイトに次のチャンスに対して声を書けるべきだが、その姿はなかった。延長戦に入るとどちらもボールの覇権を必死に争うチームメイトを背に我無関与の姿勢を貫く。

 

 ゴンサロ・イグアインがドイツ代表マヌエル・ノイアーとの接触プレーで地面に倒れたシーンがあった。イグアインはPKに値したのではないかと、必死に抗議するがメッシは事が済んだあとにイグアインに軽く声を掛けるだけに留まった。

 

 ラベッシと交代でアグエロが入ったことでチームは活性化され、後半開始直後にメッシは絶好のチャンスを得たが外してしまった。しかしながら、アグエロが入ったことでアルゼンチンはドイツの攻撃に耐えることしか出来なかった。それは、よりラベッシが献身的な姿勢でチームを助けていたかであろう。ディマリアが欠場してしまったことで、アルゼンチンの“切れ味”は落ちてしまった。その代役として起用されたラベッシだったが、前半45分のみでピッチを後にしている。このことについてはモウリーニョも会見で言及していたが、同意見である。その点についてもレジェンドのマラドーナも同意見であったようである。

モウリーニョ:「メッシは犠牲を払っていた」(GOAL) - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ

マラドーナ、W杯振り返り「アルゼンチンは世界サッカーの主人公」(SOCCER KING) - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ

 

【これからと。】

 それに対してノイアーの出したコメントは正反対のものであった。

 「とにかくチームのために、献身的に働くことを意識していた。出場できなかった選手も含めて、すべての選手がこのチームに貢献していた」

 ドイツが一丸となって闘っていたとすると、アルゼンチンはメッシの為に闘っていたと思う。同じトロフィーに対する欲望でも、その過程が大幅に異なっていたということである。

<ブラジルW杯>「とにかくチームのため」守護神ノイアー(毎日新聞) - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ

 

 ドイツはパスワークと質の高いランニングでスペースを生み出し、相手ゴールに迫った。しかし、アルゼンチンは個の力に依存していたように思う。試合前から結果は必然的に予測できていたが、メッシの突飛でアイディア溢れるドリブルが冴えれば分からないかもしれないと思っていたがドイツの組織力溢れる守備がそれを超越していたのである。

 

 メッシの走行距離の問題はバルセロナグアルディオラ監督時代後期から判明していた、集団で選手間同士の距離を短く保ちボールを奪われても迅速に取り返すことを信念としていたペップバルサには致命的な問題であった。右サイドに置くよりも、より中央の位置に置くことで守備の負担を減らし、より攻撃に絡めさせることがメッシのより怠慢化を助長させてしまったのではないかと思う。現代フットボールでは全員が攻撃も守備にも献身的になることで進化した、しかしメッシはこのトレンドに逆らう言わば、フットボールガラパゴス的な存在なのではかとも思うようになった。

 

 W杯は欧州のトップフットボールに比べ、守備的な大会である。バルセロナというクラブでメッシ中心の方向性と舵取りをしても、このまま進めど先行きは暗雲である。如何に大金を掛け、南米のフットボールスターたちを集めどお先真っ暗である。

 

 話が逸れてしまったので、本題に戻そう。アルゼンチンでのメッシはキャプテンとしての振る舞いには到底評価されるに値しないものであっただろう。しかし、それを良しとするアルゼンチンのフットボールに問題があったように思う。ラームやキックオフ前にトロフィープレゼンターとして姿を表したカルラス・プジョールのようなチームを鼓舞する様子は全く散見されなかった。彼はバルセロナで何を学び、何を身に付けたのか。シャビ・エルナンデスプジョールのように劣勢でもチームのモチベーター、模範的な姿勢を取ることが必要であったと思う。「生真面目」に振る舞うことと、我関せずの姿勢を取ることは違う。まだ4年後がある、これを糧にロシアの大会では“真のキャプテン”になることを自分は望む。

 

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