らもすいずむのフットボールログ。

多角的な観点でフットボールを読み解きます。時には戦術論、トレーニング論、マーケット論。常に本気でフットボールを思考する。

ゴールキーパー論~カシージャスは守護神に相応しいのか?~

 

 エル・クラシコ今週の土曜日、日本時間の25時についにキックオフしますね。

 

 さて、そんな時期にサッカーというスポーツの中で唯一手を使うことが許されているポジションであるGKについて考えてみたいと思います。

 

 で、今回取り上げたいのはレアルマドリーバルセロナチェルシーといったようなスタメンクラスのGKを揃えているクラブから考えてみたいと思います。

 

 

【そもそもGKの仕事って?】

 

 近年、バルセロナバイエルン・ミュンヘンなどのポゼッションをチーム戦術の主体として採用しているチームはボール保持の起点(基点)としてGKを利用しているクラブがある。

 

 物事には当たり前にそれに起因する要素が存在する。例えになるが、GKに対してもプレッシングを掛けるハイライン・プレッシングを敷くチームがあったとしよう。そのチームのプレッシングを避けるためにキーパーはロングボールを味方を狙って蹴り飛ばすことは容易なことであろう。しかしながら、味方の選手に向けて蹴ったとしてもそのボールに対して相手DFが競り、ルーズボールになってしまったらそのボールの回収率は50:50になってしまう(もちろんGプレッシングやアトレティコのような戦術は除く)

 

 確率的な話になるが、味方の前線に確実にボールを届けたいのであればGKがボールを蹴り飛ばすよりもGKからDFへとビルドアップを行った方がより高い確率で届けられる。もちろん、これを行うためにはDF陣の高いボールスキルや中盤の選手のフォローという側面は必要不可欠であるのも事実である。

 

 これをより機械的に、オートマチックに行っているのがバルセロナバイエルンというチームであるというのが冒頭のお話である。

 

 昨季までバルサの守護神としてゴールマウスを守っていたV・バルデスやW杯王者に輝いたドイツ代表のマヌエル・ノイアーといった選手が挙げられる。

 

 しかしながら、GKというポジションの存在意義ということを考えた場合、最優先事項はシュートをセービングするという事柄であるのは自明の理である。

 

 今日はそのような観点から見ていきたいと思う。

 

レアルマドリーのゴールを守るべきはカシージャス?ナバス?】

 

 今回の記事を書くにあたって参考にしたいデータがある。

 

 Balanced Sports: European Goalkeeper Stats 2012-13というところよりの引用なのだが、少し情報が古く2012‐2013のデータで2013‐2014のシーズンではないという点を留意して読んで頂きたい。

 

 このシーズンはジョゼ・モウリーニョ監督がレアルマドリーを指揮した最後のシーズンとなったのだが、キャプテンであるイケル・カシージャスらとの確執が起きた年でシーズン中に4人のGKが起用されたという珍しいシーズンであった。フェルナンデスは1試合のみだったので、フェルナンデスの数値は引用しなかった。 

 

レアルマドリー指揮官時代のモウリーニョと選手との確執についてはコチラを。

書評〜モウリーニョ×レアルマドリー「三年戦争」〜 | らもすいずむ | スポーツナビ+

続・書評~モウリーニョ×レアルマドリー「3年戦争」~ - らもすいずむのフットボールログ。

 

 

 

Team Player Games Conceded Saves GAA Save % Saves/game

 

Real Madrid Casillas 19 17 31 0.89 0.646 1.63
Real Madrid Lopez 16 20 55 1.25 0.733 3.44
Real Madrid Adan 3 3 5 1.00 0.625 1.67

 

 ここで注目して欲しいのは、ディエゴ・ロペスのセーブ率である。カシージャスが0.646に対してロペスが0.733という高い数値を出しているのである。これはモウリーニョが前述したようにビルドアップに貢献できるだけではなく単純にGKの能力としてロペスを起用していたことが分かる。

 

参考数値として、バルサの当時の守護神であるバルデス、現在の守護神のクラウディオ・ブラボを引用してみる。

Barcelona Valdes 31 33 61 1.06 0.649 1.97

 

Real Sociedad Bravo 31 40 104 1.29 0.722 3.35

 

 バルセロナという特殊なチームとの単純な数値の比較はできない。しかしながら、バルサがシュートまで持ち込まれるというシーンはカウンターなどにおいて相手チームに決定的機会を作られるという状況なのであるから仕方が無い節がある。

 

 もう少し数値を挙げてみよう。今度はレアルマドリーに移籍したケイラー・ナバスとチェルシーに復帰してしまったティボ・クルトワである。

Levante Navas 9 10 39 1.11 0.796 4.33

 

Atletico Madrid Courtois 37 29 86 0.78 0.748 2.32

 

 バルサバルデスだけは特殊なチームであるだけに一概には判断できないが、少なからず他に例を出したGKの中で対比すると明らかにロペスがゴールマウスを守るに相応しい能力を発揮していたのは間違いない。

 

  現在、カシージャスがスタメンの座に返り咲き、ナバスはベンチを温めているだけである。昨シーズンもCLと国王杯はカシージャス、リーガはロペスと定めシーズン終了までその決定を貫き通したアンチェロッティだけにシーズン途中での怪我など以外の理由で変更されることはないだろう。

 

 しかしながら、昨季のCL決勝やW杯でのプレー、直近のスペイン代表でのパフォーマンスを鑑みてもレアルマドリーというビッグクラブでゴールマウスを守るには適していないとしか思えないのが現状である。

 

 もちろん、カシージャスに救われた試合もある。カシージャスのミスによって、タイトルを逃しかねない試合もあった。しかし、チームの結束力という団体スポーツに最も必要な要素によって昨季のラ・デシマは達成された。カシージャスを外したモウリーニョを擁護する気は毛頭ない。だが、プロクラブとして勝利を義務付けられたクラブとして時には冷酷な英断もしなければならない時があるのではないかと感じた。

 

 

 

 

書評~知られざる。ペップ・グアルディオラ「サッカーを進化させた若き名将の肖像」 | らもすいずむ | スポーツナビ+

 

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サッカーにおけるアウェイゴールという重圧

最近こんな記事を見掛けた。

 


サッカー=FIFA会長「アウェーゴールルールは時代遅れ」 (ロイター) - Yahoo!ニュース

 

【そもそもアウェイゴールとは?】

 CLやELなど各国カップ戦などのトーナメント戦で用いられるアウェイゴールとは何だろうか?分かりやすいWikipediaからの引用である(下線部強調は自分)

 

 クラブチーム間で争われる国際公式戦(UEFAチャンピオンズリーグAFCチャンピオンズリーグなど)や、FIFAワールドカップ予選のプレーオフなどでは、対戦するそれぞれのチームのスタジアムで試合を行うホーム・アンド・アウェー方式が採用されており、2試合の通算スコアによって成績を決定している。しかし、2試合の得点が同じ場合、単なる通算スコアの比較では両チームの勝敗が決まらず、勝ち上がるチームを決定できない。そこで、このような場合、アウェーでの獲得得点の多いチームを勝ちとする方式で勝敗を決定する。

 2試合目の後半終了時に総得点、アウェーゴール数ともに同点の場合は、そのスタジアムで延長戦を行うが、延長戦での得点が同点となった場合もアウェーゴールのルールが適用されることがある。すなわちその場合、延長戦での得点が1 - 1以上の同点ならば、延長戦を行ったスタジアムにおけるアウェーチームの勝利となる。採用しない場合はアウェーチームにとっては延長戦がアウェーの地でのみ行われることになり、2試合目をアウェーで戦うチームがやや不利といえる一方、採用した場合は前述の様に、延長戦ホームチームアウェーゴールを奪うことができないため、アウェーチームがやや有利となる。なお、日本においては、延長戦では採用されていない。

 同じ1点差の勝ち(負け)でも、無失点(無得点)で終わるのと1点でも取られる(取る)のとでは大きな差が生じ、また、スコア展開によっては差をつけて勝っていても1失点も許されないなど、緊張感のある方式である。

 

 CL以外での大会でも採用されているルールだが、プロスポーツの規模からしてみればCLが必然的に注目を浴びることになる。今回のブラッター会長の発言の理由はどのような経緯なのかは分からないが、以前にもアーセナルアーセン・ヴェンゲル監督が声高に主張していたことを覚えている。

 

 

【ヴェンゲルの主張の正当性】


ヴェンゲル:「UEFAにアウェーゴール撤廃を訴えた」 - Goal.com

 

 昨年のCLの1回戦でバイエルン・ミュンヘンとぶつかったアーセナル。1st legホームで迎え撃ったが3−1で落としてしまう。しかし、2nd legは2−0で勝利を得た。トータルスコアは3−3と並んだが、アウェイゴール数の関係性で敗退してしまった。

 

 ここで注目するべきは、ヴェンゲルがアウェイゴールのルールを撤廃を主張する理由である。簡単に要約すると以下のようになる。

 

《ヴェンゲルの指摘》

・「本拠地で1-3と敗れ、敵地で2-0の勝利を挙げた。アウェーゴールの負担は重すぎて、大きすぎる。 」

・「なぜ彼ら(UEFA)がアウェーゴールを 取り入れたか?それはテレビ放送がな かったからだ」

・「時に、逆効果でホームチームが点を奪 われないプレーをすることがあると思 う。今ではホームチームの監督が真っ先 に言うのは『失点しないようにしよう』 ということだ」

 

3つに絞って考えてみると非常に正当な主張であろう。それはアウェイゴールが導入された背景から見ていこうと思う。

ヴェンゲルの指摘の1点目、敵地でのゴールの重みという事項になります。アウェイゴールが導入された今から約50年前は国外や国内での移動でも100キロ以上の移動になると時間も選手のコンディション面の差が明らかにホームチームより明確に出てしまうという現状があった。しかし、近現代の移動速度やコンディションケアーなどのトレーニング技術が格段に進歩しホームチームとそれほど変わらないコンディションをアウェイチームも作れるように変化してきた。そのことを考慮した上で、アウェイゴールを同点だった場合に2倍で計算する必要性はないのではないかということヴェンゲルは指摘している。

 

次に2点目の主張である、テレビ放送がこの問題と関係あるのか?という微妙な関係性を指摘しているように見えるが無関係な話でもない。

 この制度が導入した当初はレフリーの裁く基準がホームアドバンテージによって、ホームチームに有利な笛が吹かれることが多々合った。しかし、現代になり情報技術が発展しネット環境はあればフルマッチの動画やハイライトなどが見られるようになり圧倒的ホームチームに都合の良いレフリングが減りつつ有る。そのような現状ではアウェイゴールの持つ意味もそれほど多くないのではないかという結論が出つつ有るのである。

 

 最後に3点目の検証である。アウェイゴールのルールによって、ホームチームは最小限の失点に抑えようという考えが主流になりつつある。この考えによって、アウェイチームはゴールを奪うことが難しくなっているのである。CLは180分間のゲームと言われるが、CLのような規模の大きい大会で守備的に振る舞うことは本当にプロスポーツの醍醐味を引き出しているかという疑念である。スポーツという競技の側面上、勝利至上主義的に振る舞い、強豪チームが自陣のゴール前にバスを並べるというような揶揄が起きてしまうのもこのような制度の上の産物でしかないのである。

 

 

【理想のプロスポーツとは】

 ヴェンゲルの主張を一方的に支持してしまったが、理想的なプロスポーツとは何なのかということにスポットライトを当てて考えてみたいと思う。

 

 アウェイゴールの有無に関わらずに、チームとして明確なコンセプトを持ち本拠地・敵地で変わらない振る舞いを行なうのがベストチームであろう。そのような姿で臨み、結果的に敗退してしまってもそこにあるのは潔い敗者、つまり“美しき敗者”なのではないだろうかと思う。

 

 マッチレビューという訳ではないが、取り上げたいのは昨年のCLのレアルマドリー×バイエルンミュンヘンの2試合である。マドリーは洗練されたカウンタースキルと各人の長所を出せるシステムをアンチェロッティとボールを保持するという明確なコンセプトを持ち試合をコントロールしポゼッションしながら敵ゴールに迫るというグアルディオラの両者の試合である。

 

 試合は2戦とも同じような流れであった、カウンターに備えるマドリーとジリジリと迫るバイエルン。だが、いつもとは異なる様相を魅せたのはデシマを達成したマドリーであった。サイドチェンジを許さずに攻撃サイドを偏らせることで、対抗した。これはマドリーがアトレティコに苦しめられた戦術であり、それを体現することに成功した。またシュバインシュタイガーとクロースの後方を封じることによって、DFラインを経由して作り直しをさせないという攻撃的守備も効いていた。

 

 決して守備的ではない、いつ懐にあるナイフを使うか。その切れ味を来たる時の為に磨いておくこそがCLという最高舞台で王者になる為の下準備である。

 

 今日は長くなってしまったので、この辺で。さようなら。

 

 

日本サッカーの守備とは?〜総括として〜

 

 さてさて、お久しぶりの更新になります。自分のTwitterをフォローしくれている方はご存知だと思いますが、冬眠なんてしていません。リーガはもちろん、プレミアの試合きちんと見ていましたよ。笑

 

 そんな感じで今日は緩く始めたいと思います。さて、書くことがない訳でもないんですが知り合いのサッカーが好きな人に言われたことなんですが、アギーレが守備に重きを置いてチームを作っても日本のCBやGKは非常に平凡なミスで失点する、と。だから、アギーレのサッカーには期待していないと。

 

 個人的なお答えをさせて頂くと、それは一概には言えません。ポルトを指揮していたモウリーニョのように堅いブロックを敷こうと思えば敷けます。ですが、日本人には基本的な技術が備わっていないということになります。

 

 ってことで、今回は『日本人の守備技術と現状』ってことでお届けしますね。

 

 

【日本代表の守備】

 日本代表の守備のミスということを考えると、誰しもがW杯の出来事を思い浮かべると思う。かく言う、自分も同じである。

 

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キャプの画像は、ブラジルW杯のコロンビア戦のCBの今野スライディングでPKを献上したシーンになる。結果的に日本は、コロンビア相手に力の差を見せつけられてグループリーグ敗退が決まるという悪夢のような結果になってしまったのであった。

 

サムライJAPANの軌跡(4)/コロンビアに突きつけられた「差」。日本×コロンビア | らもすいずむ | スポーツナビ+

(マッチレビューを読みたい方はこちらからどうぞ)

 

 反省ということでもないが、今日は守備の鉄則、俗に言う所のセオリーから日本のサッカーの育成システムの不完全な部分に対して触れてみたいと思う。

 

 

 最初に引用から、これはバルサで14年間も下部組織の育成に携わって来たボレル氏のインタビューから。

 

「一方で戦術面、守備の部分で改善の余地があるのではないかという印象を受けました。とくに、「チームとしてどうボールを奪うか」という組織の部分です。U12の年代では技術面が大切ですが、戦術の練習はしなくてもいいのではなく、そのバランスが重要です。私の考えでは、テクニックがついて来た頃に、戦術的な要素をトレーニングの中に導入していくことが大切なのではないかと思います」

 

「守備の戦術に関して言うと、ボールがグラウンドのどこにあるかによって、守備の仕方は変わります。ここで、私が考えるサッカーの4つの大切なことについて、説明させてください。

1はチームのスタイル。2はチームのシステム。3はロジカルにボールを動かしていけるかどうか。具体的には、マイボールにし、攻撃に移るときのビルドアップの方法です。4は相手チームがボールを持っている時に、どう動いてボールを奪うか。具体的には、相手チームがボールを持っているときに、どう動けば自分たちが狙っているところにパスをさせることができるか、です。

 

◆1:チームのスタイル

◆2:チームのシステム

◆3:ビルドアップの方法

◆4:ボールの奪い方

 

おそらく、1と2はどの指導者も持っていることでしょう。3に関しても、半数の指導者は自分なりの考えがあると思います。しかし、4の「相手チームがボールを持っている時に、どう動いてボールを奪うか」については、考えとして持っている指導者はあまり多くないと感じています。これは簡単なことではありません。知識があったとしても、実行する能力がなければできないからです」

 

 

 

 

 以上が引用文だが、やんわりと日本の守備文化に対して批判的な内容で答えているのが分かる。日本という土地には、守備を大切にする文化がない。それ故に、乱雑な守備の仕方しか身に付いていないということが挙げられている。

 

 日本代表や元日本代表の吉田、今野、森重、中澤、闘莉王などがその筆頭候補に当たるのだが、日本の多くの選手で何かしらの弱点を抱えたままプロになってそのような選手たちがJリーガーとして日本代表に選出され、日の丸を背負う代表選手がビッグマッチなどで大きな失態を晒す。このような事態は今まで、日本代表サッカーを見ている方なら暗黙の了解であろう。

 

 前監督のザッケローニは、守備面に関しては純粋な守備能力ではなくビルドアップ、ボレル氏のインタビューで言えば3の項目を優先してきた節がある。その結果がW杯である、格下相手のアジアカップやW杯最終予選ではこの問題は露呈しないが強豪国、とりわけコンフェデ杯などでは日本は結果という結果を出せなかった。

 

 確かに日本の攻撃面や技術に関しては、飛躍的に進歩している。だがそこには、守備という概念が据え置かれている気がするのである。香川の守備貢献度であったり、連動したプレッシングが見られなかったりと守備を軽視する現状の育成に対して自分は少なからずの疑問点を抱えているのである。

 

【解決策は?】

最後にボレル氏はこのようなコメントでインタビューを締めくくっている。

 

「トレーニングメソッドだけが重要なわけではありませんが、日本人の特徴を活かして、守備の規律正しさを選手たちが身に付けるための、良い教え方、トレーニングメソッドをみつけることが大切だと思います。日本人は勤勉で規律正しい国民です。日本人であれば、彼らに合ったやり方を見つけることができるのではないかと思います」

 

 日本人であれば、彼らに合ったやり方を見つけることができる、とではそれは誰が見つけるのか?実際に指導者として、コーチとしてピッチレベルに立っている指導者にそれは叶わないだろう。だからこそ、ユース年代での育成という要素が10年後、20年後の日本代表を僅かでも変えられる一番の近道なのかもしれない。

 

 

 

【つぶやき】

 批判的な記事になってしまいましたが、世界でそのセオリーに乗っ取って守備を行なえているチームも早々ないし完全無欠なDFも限られている。実際にスペイン代表のセルヒオ・ラモスジェラール・ピケのコンビでさえもコンビネーションという部分で醜態を晒した。守備は1人で行なうものでもないが、クラブレベルの話になればコンビネーションや鉄則という部分は当たり前の話だが代表レベルの話ではその部分には及ばないだろう。しかしながら、ブラジルW杯のブラジル代表のCB2人は良い意味でお互いを補完し合えていただろう、マークとアタックに出るダビド・ルイスカバーリングで支えるチアゴ・シウバと。

 

そのような優れた関係性を築くことが出来れば、代表チームとして一皮剝けるのではないだろうか。

 

W杯マッチレビュー一覧

サムライJAPANの軌跡(2)/天国から地獄へと突き落とされた日本 コートジボワール×日本 | らもすいずむ | スポーツナビ+

サムライJAPANの軌跡(3)/「自分たちのサッカー」をするということ。日本×ギリシャ | らもすいずむ | スポーツナビ+

サムライJAPANの軌跡(4)/コロンビアに突きつけられた「差」。日本×コロンビア | らもすいずむ | スポーツナビ+

 

 

感想はコメント欄やTwitterまで。

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注釈*以下より引用掲載


日本の育成課題は『守備』にある。グアルディオラの恩師が提言 | サカイク

 

 

 

 

続・書評~モウリーニョ×レアルマドリー「3年戦争」~

 

モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」 明かされなかったロッカールームの証言

モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」 明かされなかったロッカールームの証言

 

以下がアマゾンの内容紹介。

 

“負ける準備をしておけ” 

勝利至上主義者が発した衝撃のメッセージの真意とは?

スペイン全土で議論沸騰の問題作! 

選手やフロントとの内紛、他クラブ関係者との衝突……。数多くの騒動によって大きな注目を集めたモウリーニョレアル・マドリー監督時代(2010~2013年)の「裏事情」を、スペイン高級紙『エル・パイス』の敏腕記者ディエゴ・トーレスが当事者たちへの綿密な取材で解き明かした問題作。 

既存のモウリーニョ本とはまったく違う、名将の“もう一つの顔”を知ることができる本作は、2013年9月にスペインで出版されたばかりで、翻訳は海外サッカー誌『footballista』編集長の木村浩嗣が担当。

 

世界最高の監督とクラブは、なぜ対立したのか?

海外サッカー好きなら必読の一冊だ。

 

 

 

  この本では、彼の真実の姿の姿が赤裸裸に語られている。多くの証言が秘匿にされており、特定の選手が情報提供したのかなどは載っていない。彼はメディアを通して、自身のイメージをまるで『正義の成功者』のように作り上げた。それは彼の獲得したタイトル、キャリアが物語っている。彼は選手としての実績がないことも由来している。正にシンデレラストーリーである。では、内容に入って行きたいと思う。

(書評~モウリーニョ×レアルマドリー「3年戦争」~よりの引用)

 

この著書は今年、3月に書評としてレビューした、モウリーニョ×レアルマドリー「三年戦争」というエントリーに補完されるエントリーである。

 

 

【フロレンティーノ・ペレスという男】

 私はこの本を4度目を通した。そこまでの回数を掛けた理由は、「レアルマドリー」というクラブが外面的に発信するイメージと、この本に描かれていることが自分にはとても信じれなかったからである。

 

 当初私は、この本がマドリディスモを有する者によって書かれていると思っていた、だからこそジョルジ・メンデスやジョゼ・モウリーニョのことを糾弾する意思を持っていたと考えていた。しかし、実際は違っていた。原作版(スペイン語版)の著者であるディエゴ・トーレスは日本語役者である木村浩嗣氏(footballistaの創設者であり編集長である)の独占インタビューで本に書けなかったことを赤裸々に語っている。今日はそのインタビューの中で自分が衝撃を受けた部分を紹介しようと思う。もちろん、この記事を読む前に自分(この記事を投稿する4か月余り前)の書評にも目を通して頂けたら嬉しい限りである。

PC版:書評〜モウリーニョ×レアルマドリー「三年戦争」〜 | らもすいずむ | スポーツナビ+

携帯版:書評〜モウリーニョ×レアルマドリー「三年戦争」〜 | らもすいずむ | スポーツナビ+

 

木村浩嗣、以下木村)この本ではモウリーニョを監督としてだけ取り扱っているわけではなく、ビジネス論やリーダー論、シャーマンや宗教などにも言及していますよね。

ディエゴ・トーレス、以下DT)「レアル・マドリーがサッカーのことをあまり信じていない人間たちによって率いられていることを説明したかった。彼らは異端者であり、ある意味、斬新なやり方でクラブを運営している。彼らの決まり文句は『サッカークラブは今まで元選手の“フットボレーロ”(=教養のないサッカー人)で運営されてきた』だった。フロレンティーノ・ペレス会長はその状態にNOと言った。そして『今からはそれらサッカー人のことは忘れ、企業を率いる伝統的なやり方で運営したい』と言った。モウリーニョとの契約はそうしたアイディアから出てきたものだ。モウリーニョは元選手のサッカー人ではなく、サイエンティストであり人材管理者でありエンジニアだった。サッカービジネスはサッカー人に任せるには重要過ぎる、と考えたのだ。フロレンティーノは一般的な監督は嫌いだが、モウリーニョは好きだった。彼のことを単なる監督ではなく、技術官僚だと見ていた。ちょうどフロレンティーノが本業の建設会社ACSで相手にしているエンジニアのように。しかもモウリーニョのやり方は彼好みの権威的なやり方だった。一方、モウリーニョもサッカーのことを話すのにしばしば『サッカー産業』という言い方をした。彼にとっても単なるスポーツとか娯楽以上のものだった」

(下線部強調はらもすいずむです)

 

 ここでペレスのクラブに関する考え方が表されているのである、レアルマドリーは世界有数のフットボールクラブで有る故、選手たちもさまざまな環境下で成育し、移籍してきた。しかし、その中であるのはサッカーというスポーツに深く根を降ろした者によって運営されてきたことが問題であった。彼はビジネスライクであると同時に自分に対して、信仰心のある選手を厚遇したのであった。

 

 

【被害者となったエジルカシージャス

 信仰心の熱い選手とは誰なのか?それは自分が獲得し自分の考えに順々に従う選手であった。それとは対照的に自分への忠誠心が薄い選手がチームから出され、移籍金目当てで他クラブへと行くことになった。その代表例がドイツ代表メズート・エジルである。このことは先の書評にも自分は述べているが、彼はエレガントな選手であった。一方で、彼は昨年夏に電撃移籍という形でレアルマドリーを去り、ロンドンに移った。そのことも述べられている。

 

(木村)本の最後の章には、モウリーニョが去っても「物語は続く」という意味のことも書かれていますね。

(DT)「放出要員のほとんどはフロレンティーノ会長自身がクビを切った。モウリーニョは一人で暴走したのではない。後ろにはモウリーニョに多大な権限を与えたフロレンティーノが常にいた。2人の意見は、権力に従わない選手は切る、で一致していた。モウリーニョは去ったが、フロレンティーノはこのアイディアを捨てていない。だからエジルらは放出され、カシージャスは控えのままだ。本当はモウリーニョに選手の入れ替えをやらせたかったが、自らの手を汚すことになってしまった」

 

 選手の放出するしないの判断は決して現場主導のモウリーニョの意見が重視されていた訳ではなかったのである。ペレスとモウリーニョは結託していた、彼らの意見で選手の放出は行われた。昨夏ではギャレス・ベイルトッテナムから高額な移籍金で加入し、同じレフティであるエジルが弾き出され、ガナーズアーセナルの愛称)へ放出された。

 

 またエジル以外にも自身の弊害となる選手の放出を行った。カカー、イグアインラウール・アルビオルという選手たちもマドリードを離れた。自分に従わない選手は切るというのが、彼のメソッドでありこれが実現化された瞬間であった。これはモウリーニョの有無は関係ない、彼が去った後の出来事であるのだから。

 

 

【フロレンティーノの“声”】

 ペレスの“声”は現場まで反映される。それは3年間監督を務めたジョゼ・モウリーニョチェルシーへ去り、PSG(パリサンジェルマン)から招聘したカルロ・アンチェロッティ体制になってからも変化はなかった。

 

(DT)「例えばカシージャスが今でも第2GKなのはフロレンティーノの意向だということだ。彼はずっとカシージャスが気に入らなかった。南アフリカW杯でトロフィーを掲げようが何をしようが」

(木村)どうしてですか?

(DT)「人間の心理とは複雑なものだ。部下でも友人でもなく、フロレンティーノ自身が契約を結んだ選手でもないそりが合わず、親近感もないカシージャスの方が自分よりもカリスマがあり人を惹きつける。嫉妬も見栄もある。フロレンティーノの願いはRマドリーで最も重要な人物になることだから、他の人間の影に隠れるのは耐えられないのだ」

 

 ラウール亡き後のレアルマドリーでは、イケル・カシージャスがチームの象徴になった。クラブの貴重なカンテラからの生え抜きで有り、スペイン代表の正GKのポジションまで獲得した彼を、ペレスの鶴の一声でベンチに置いたと証言している。つまりペレスにとって、カシージャスは目障りな存在であるのである。覚えている方は少ないだろうが、モウリーニョはリーグ戦において、いきなりカシージャスをベンチに置きアダンを起用した。しかしスターティングメンバーに抜擢されたアダンは安定したパフォーマンスを魅せることは出来なかった。しかし、風はペレスの追い風に拭いているのだろうか?試合中のアルべロアとの接触プレーによって骨折をしてしまい戦線離脱を余儀なくされてしまう。トップチームのGKが2人になってしまったことで、モウリーニョカシージャスと定位置争いを行える能力のGKの獲得を打診した。そこで加入したのが、ディエゴ・ロペスであった。彼は高い身長と定評の有る足元の技術で自身に対する信頼を築いた。ここからカシージャスの地獄のような日々が始まる。モウリーニョ体制下では出場試合数は限られ、アンチェロッティ体制でもカップ戦のみの出場に留まった。

 

 

【来季の守護神は?】

 しかし、ここでペレスの頭を悩ます事象が起きてしまう。カシージャスゴールマウスを守った国王杯とCLではマドリーは優勝に輝いた。CL決勝のマドリードダービーとW杯のパフォーマンスが低かったにしろ、“ラ・デシマ”の功労者である彼を放出すればチームましてや最高権力者である彼への批判は避けられないであろう。敵への被害は最大に、自分への被害は最少に留めたい彼にとっては、今夏の最重要事項であろう。

 

 コスタリカ代表のケイラー・ナヴァスがへ獲得の噂が流れているが、これは放出を許容するという民意を作るためのプロバガンダであると自分は思っている。

 

(木村)モウリーニョのRマドリー時代、メディア一般は彼やフロレンティーノ・ペレス会長の代弁者となっていたのでしょうか?

(DT)「そういうことも多かった。モウリーニョとフロレンティーノは彼らの公式見解を流し続けるために、主要な新聞、テレビ、ラジオと密接な関係を築いていた。それはRマドリーの力に対するジャーナリストたちの無力さを表していた。しかし、『マルカ』や他のメディアの中にも社の編集方針に従わず自分の意見を述べ続ける、独立したジャーナリストたちがいたことも確かだ。『マルカ』は伝統的にRマドリー寄りではあるが、その中でも批判を続ける者がいたという多様性は評価すべきだ。ただその一方で今でも“フロレンティーノ寄り”と呼ばれる、クラブが流してほしい情報を代弁するテレビ番組が少なくとも3つある。それらの番組の視聴率は高くないが、少なくともRマドリーファン内での世論を左右する力を持っている

 

 選手の放出を予め、メディアに伝え、流し、浸透させておくことで、反発を最小限に抑えることができる。それはペレスの権力保持に繋がるマストポイントであるからである、彼はクラブではなく保身の為には努力を惜しまないタイプの人間であるとペレス会長の知られざる一面をこのインタビューから垣間見た気がする。

 

 だからこそ、今季の放出は難しい。ペレスからしたら、昨シーズンのオフで膿は出し切ったはずだからである。獲得が決まったトニ・クロースハメス・ロドリゲスといったような選手たちはCLを獲得したチームに対して更なる強化とマンネリ化防止の為であっただろうからである。このような政治的な内圧によってチーム作りを行うチームは勝ち続けることができるのだろうか。

 

 しかし、これからもペレスは自身の権力安定とビジネスライクなサッカー産業、そして銀河系軍団としてのアイデンティティを貫くだろう。彼のトカゲの尻尾切りとなったモウリーニョはロンドンで、もう1つのマドリーから選手を引き抜き“傭兵軍団”として育てるだろう。今季はレアルマドリー×モウリーニョという構図は見られるのだろうか。今季も楽しみなシーズンになるだろう。

 

 

コメントや感想はコメント欄かツイッターまで。

らもすいずむ (ramos_ism) on Twitter

 

 

《参考文献》

『三年戦争』著者インタビュー:前編 | footballista.jp

『三年戦争』著者インタビュー:中編 | footballista.jp

『三年戦争』著者インタビュー:後編 | footballista.jp

 

メッシの無力さと“フットボールのガラパゴス”

 

【敗者になったメッシ】

 ブラジルW杯、隣国で開かれた大会においてリオネル・メッシはトロフィーを持ち帰ることは出来なかった。メダル授与で受け取ったメダルも階段を降りる際に首から外してしまった。彼の不本意なW杯に焦点を当ててみることにする。

 

 延長後半の最後のFK、ゴールから距離はあったが彼の放ったボールはゴール前方に入り込んだ味方選手ではなくゴール上方に飛んでいった。自分のボールの軌道を見て、立ち尽くすと同時に数分後にドイツの優勝を決定するホイッスルが鳴らされると終わったというような表情をした。

 

 今大会のアルゼンチンを振り返るとメッシの為のチームと言っても過言ではないように感じられる。ハビエル・マスチェラーノを筆頭に、ビリア、ガゴ、アンヘル・ディマリアエセキエル・ラベッシといった選手たちは守備のタスクを課されられた。DFラインの選手達は泥臭い守備を厭わずに、失点を最小にするように努力した。だが、一方のメッシはボールを貰いチャンスを作り出すことだけを考えていた。そう、攻撃専門の選手としてしかピッチ上で働いていなかった。この構図は古典的なフットボールの図式であると同時に、働き蜂と女王蜂の関係性と酷似していた。結果的に決勝まで駒を進め、チームを準優勝まで導いたと言えば聞こえは良いが、本当にキャプテンとしてあるべき姿かと問われればそれは決して誉められたものではなかったと感じる。

 

 トーナメントでは僅か1アシストのみ、これが彼の正当な評価であると同時に、今大会で受賞した大会MVPというタイトルが皮肉にも感じられるのは自分だけであろうか。

 

 クラブでのメッシ、つまりバルセロナでのメッシは好きだが、アルゼンチン代表のメッシは嫌いと公言するアルゼンチンサポーターの声に納得してしまう。決勝戦の折、ラベッシのパスからネットを揺らしたイグアインは喜びを爆発させるがそのプレーは惜しくもオフサイドの判定となってしまう。イグアインは判定に対して抗議の顔をするが、メッシはイグアインに声を掛けることもなく後退してしまう。本来ならば、そこにあるのはチームメイトに次のチャンスに対して声を書けるべきだが、その姿はなかった。延長戦に入るとどちらもボールの覇権を必死に争うチームメイトを背に我無関与の姿勢を貫く。

 

 ゴンサロ・イグアインがドイツ代表マヌエル・ノイアーとの接触プレーで地面に倒れたシーンがあった。イグアインはPKに値したのではないかと、必死に抗議するがメッシは事が済んだあとにイグアインに軽く声を掛けるだけに留まった。

 

 ラベッシと交代でアグエロが入ったことでチームは活性化され、後半開始直後にメッシは絶好のチャンスを得たが外してしまった。しかしながら、アグエロが入ったことでアルゼンチンはドイツの攻撃に耐えることしか出来なかった。それは、よりラベッシが献身的な姿勢でチームを助けていたかであろう。ディマリアが欠場してしまったことで、アルゼンチンの“切れ味”は落ちてしまった。その代役として起用されたラベッシだったが、前半45分のみでピッチを後にしている。このことについてはモウリーニョも会見で言及していたが、同意見である。その点についてもレジェンドのマラドーナも同意見であったようである。

モウリーニョ:「メッシは犠牲を払っていた」(GOAL) - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ

マラドーナ、W杯振り返り「アルゼンチンは世界サッカーの主人公」(SOCCER KING) - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ

 

【これからと。】

 それに対してノイアーの出したコメントは正反対のものであった。

 「とにかくチームのために、献身的に働くことを意識していた。出場できなかった選手も含めて、すべての選手がこのチームに貢献していた」

 ドイツが一丸となって闘っていたとすると、アルゼンチンはメッシの為に闘っていたと思う。同じトロフィーに対する欲望でも、その過程が大幅に異なっていたということである。

<ブラジルW杯>「とにかくチームのため」守護神ノイアー(毎日新聞) - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ

 

 ドイツはパスワークと質の高いランニングでスペースを生み出し、相手ゴールに迫った。しかし、アルゼンチンは個の力に依存していたように思う。試合前から結果は必然的に予測できていたが、メッシの突飛でアイディア溢れるドリブルが冴えれば分からないかもしれないと思っていたがドイツの組織力溢れる守備がそれを超越していたのである。

 

 メッシの走行距離の問題はバルセロナグアルディオラ監督時代後期から判明していた、集団で選手間同士の距離を短く保ちボールを奪われても迅速に取り返すことを信念としていたペップバルサには致命的な問題であった。右サイドに置くよりも、より中央の位置に置くことで守備の負担を減らし、より攻撃に絡めさせることがメッシのより怠慢化を助長させてしまったのではないかと思う。現代フットボールでは全員が攻撃も守備にも献身的になることで進化した、しかしメッシはこのトレンドに逆らう言わば、フットボールガラパゴス的な存在なのではかとも思うようになった。

 

 W杯は欧州のトップフットボールに比べ、守備的な大会である。バルセロナというクラブでメッシ中心の方向性と舵取りをしても、このまま進めど先行きは暗雲である。如何に大金を掛け、南米のフットボールスターたちを集めどお先真っ暗である。

 

 話が逸れてしまったので、本題に戻そう。アルゼンチンでのメッシはキャプテンとしての振る舞いには到底評価されるに値しないものであっただろう。しかし、それを良しとするアルゼンチンのフットボールに問題があったように思う。ラームやキックオフ前にトロフィープレゼンターとして姿を表したカルラス・プジョールのようなチームを鼓舞する様子は全く散見されなかった。彼はバルセロナで何を学び、何を身に付けたのか。シャビ・エルナンデスプジョールのように劣勢でもチームのモチベーター、模範的な姿勢を取ることが必要であったと思う。「生真面目」に振る舞うことと、我関せずの姿勢を取ることは違う。まだ4年後がある、これを糧にロシアの大会では“真のキャプテン”になることを自分は望む。

 

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【W杯】ドイツの優勝。そしてドイツに思っていること。

【W杯】ドイツの優勝。そしてドイツに思っていること。のコラム記事です。

【W杯】ドイツの優勝。そしてドイツに思っていること。 | らもすいずむ | スポーツナビ+

 

以下が後半のコラム記事になります。

 

 マッチレビューはここで終わりなのですが、ここから少しドイツとニッポンの関係性について触れてみたいと思います。

 

 内田、長谷部を筆頭に岡崎や細貝、乾、そして香川の古巣であるドルトムントなど多くの日本人フットボールプレーヤーのいるブンデスリーガとドイツ代表の心温まるエピソードがあったのでご紹介させて頂きます。

 

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。日本の多くの方々が被災し、今でも堪え難い生活を送っている方々もいることでしょう。震災翌日のシャルケ×フランクフルトが行われました。ACジャパン(日本広告機構)などでも取り上げられていた内田選手のこの姿です。

「日本の皆へ。少しでも多くの命が救われますように。共に生きよう!」

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このシャツを用意していた内田選手ですが、このシャツを見せるまでのエピソードが有りました。

 

 

 

ノイアー『それ見せるのか?』

内田『勝ったら見せる。負けたら見せない。』

ノイアー『俺が守って勝たせる。問題ない。』

 

試合はシャルケが先制したものの

ノイアーのミスから同点とされ、

後半39分時点で1−1。

このままドローで終われば恐らくメッセージは見せなかったかもしれません・・・

 

しかし終了間際、ノイアーが飛び出しFWへ直接ロングボール!

なんとこれが決勝点のアシストとなりました。

 

シャルケは劇的な勝利。

試合後、勝利に喜ぶ仲間には混ざらず、

内田はメッセージ入りのユニフォームを着て

観客の前に立ちました。

 

しばらく時間がたち、

他の選手らがグラウンドを去ろうとしていたので

内田も一緒に控え室に戻ろうとしました。

 

その時、

ノイアーが内田の手を取り

再び観客席の前に内田を連れて行きました。

 

http://スポーツニュース.jp/uchinoiasinsai-1013さんからの引用になります)

 

 

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内田篤人 被災地へ向けてのメッセージ - YouTube

 

このお話は大分有名なお話ですが、今回はドイツ代表の優勝からこのお話をしたいと思いエントリーしました。

ドイツ代表/ユーロ予選 スタンドに日の丸&日本の被災者にメッセージ




 

ドイツ代表がカザフスタン代表とのユーロ予選の折に、スタンドに大きな日の丸を掲げてくれ、メッセージまで掲載してくれています。実際、クラブレベルや個人レベルのメッセージは多いんですが、代表戦でここまで大きく扱ってくれてるナショナルチームは有りませんでした。

 

ってことで、今日の更新はW杯の優勝記事を書いていたらそんなこと思い出したんで更新してしまいました。

 

P.s レアルマドリーも震災に関するコメントとメッセージを発信しています。

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書評〜俺はズラタンだ!『聞くが聞かない』それが俺流のやり方だ。〜「I AM ZLATAN」

 【ズラタン・イブラヒモビッチとは】

 イタリア代表、スペイン代表、そして日本代表も2014年ブラジルW杯グループリーグ敗退を喫し、母国へ帰国した。しかし、大物選手であってもW杯のピッチに出れない選手がいた。スウェーデン代表ズラタン・イブラヒモビッチである。アヤックスユベントスインテルバルセロナACミラン、PSGというビッグクラブを渡り歩き数々のトロフィーを手にした男である。

 

 ストライカーとしての資質を持ち、才能溢れるテクニックとゴールセンスを持ち合わせる希代のゴールゲッターのこれまでの歩みを自身の言葉で綴った彼の自伝を今日は見ていくことにしよう。

 

イブラヒモビッチ自伝】

 日本語訳が出版され、一時期話題に登った本である。特徴なのはその書き口と一人称である。冒頭部から早々とバルセロナ時代のジョゼップ・グアルディオラ監督とバルセロナというクラブの哲学を否定している。また翻訳家の沖山ナオミさんの配慮とも思える表現方法だが、文中の一人称が「俺」で統一されていることが読者により興味を持たせている点である。最初にAmazonの内容紹介からの引用である。

 

 

I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝

I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝

 

 

 

人口1000万人の本国スウェーデンで50万部を超えるベストセラー!

あの「ハリー・ポッター」さえをも凌駕する空前の大ヒット自伝、ついに邦訳!

「他の人と違っていいんだ。自分を信じ続けるといい。

世の中いろいろあるけれど、俺だって何とかなったぜ。」

貧しかった少年時代から、一躍スター選手の座に登りつめ、

現在にいたるまでの半生を綴った初の自伝。

グアルディオラ監督との確執、移籍の舞台裏、チーム内の人間関係など、

業界人が青ざめるようなエピソードも満載。

イブラヒモビッチ自身による赤裸々な言葉が詰まった本書は、

ユーモラスなのに毒もあり、深い愛にも満ちた稀有な自伝に仕上がっている。

 

「俺はキレたプレーをするために怒り狂ってないといけない」

「俺は記録的な価格で売られたい。歴史に名を残したいんだ」

「俺は誰にも似ていない。ズラタンはオンリー・ワンだ」

「マフィアだって? いいじゃないか。上等じゃないか。会わせてくれよ」

「尊敬は得るものではない。つかみ取るものだ」

ミランは最強だったが、俺の気持ちはインテルに傾いていた」

「うるせえ。俺はこの2本の足で、自分の家を手に入れたんだ」

モウリーニョが“スペシャル・ワン"だということは知っていた」

「俺が喉から手が出るほど欲しかったのは、チャンピオンズリーグのタイトルだった」

「“普通"とは違う人間をつぶそうとする行為を俺は憎む」

ほか

 

【犠牲になったズラタン

「俺はクラブ所有のアウディを運転して、高校時代のようにいつも頭を縦に振って過ごしていた。いや、高校時代にあるべき姿で過ごしていた、という方が正しいな。バルサでは、チームメイトを怒鳴りつけることもなかったんだぜ。それはズラタンズラタンじゃなくなってことさ。勘弁してくれよ。〜中略〜こんなに弱腰になったのはそのとき以来のことだぜ。」(12項より引用)

 

 

 念願のバルセロナに移籍した、イブラヒモビッチ。でも彼を待ち受けていたのは素晴らしいフットボールクラブではなく、ただの牢獄でしかなかった。イニエスタ、シャビ、そしてメッシというスターは皆それぞれの己はなく、バルサという独自の集団生活によってフットボールを行っていた。そこでは自分らしさ、つまり本書で言うなれば“ズラタンらしさ”が失われていく他になかった。日々の生活の中でストレスが貯まる、その中で彼ははけ口を探していたのであった。

 

 そのストレスはシーズン中のオフで吐き出すことになる。それがグアルディオラとの決定的な亀裂へと繋がる。

「クリスマス休暇に入った。俺たち(イブラヒモビッチとその友達)はスウェーデンのオーレ・スキー場に行って、スノーモービルをレンタルした。俺は生活がつまらなくなった時はいつも行動を起こす。気が狂ったように運転するのさ。時速325キロ出してパトカーを巻きながらポルシェをぶっとばしたり、今考えてもゾッとするほど、無謀なことを何度もしでかしたよ。その休暇中は山にこもってスノーモービルで突っ走った。凍傷にやられながらも、ただ夢中になって走り回った。」(13項よりの引用)

 

この事件がバルセロナグアルディオラ)との冷戦の引き金になった。グアルディオラは真面目で、真剣にチームのことを考えているがオフに全身凍傷まみれでチームに合流するイブラヒモビッチに対して疑念を抱くのは当たり前のことであった。

 

 そしてメッシが主張する、これが0トップの始まりであった。

「そんなころリオネル・メッシがくだらないことを言い出しやがった。メッシは確かにうまい。飛び抜けた選手だよ。ヤツのこと詳しいわけじゃないが、俺とまるで違うことは確かだ。13歳でバルサに入って来てこの環境で育っているんだよ。〜中略〜俺はメッシよりゴール数が多かったんだよ。あいつはグアルディオラに頼みやがった。『右サイドではなく、センターでプレーさせてください』センターには俺がいた。俺様がいたんだよ!だが、グアルディオラはそんなことお構い無しさ。さっさとフォーメーションを変えやがった。4−3−3から4−5−1にだ。俺をワントップにして、すぐ後ろにメッシだ。おかげでおれはすっかり亡霊になっちまったよ。ボールは全てメッシに集まった。俺は自分のプレーができなくなった。俺はピッチ上では鳥のように自由に羽ばたいてないと力を発揮できないんだ。いいか、俺はあらゆるレベルで違いを出せる男だ。しかし、グアルディオラはそんな俺を犠牲にしやがった。これが真実さ。俺は高い位置に取り残された。」(14項より)

 

 メッシのプレーセンスとビジョンを活かす為にグアルディオラが考案した、0トップ。しかし、その犠牲者となったのはイブラヒモビッチ。これはメッシが成長してからFW全員に共通している問題であり、メッシに勝てないFWをセンターに置かないという超実力主義バルセロナにおける競争であった。エトーイブラヒモビッチボージャンというFWたちは同じ問題を抱え、バルセロナを退団した。イブラヒモビッチは本人の語る通り、イブラが居ればそれだけで戦術にもなりうるFWとしては超人的な選手である。そんな彼はメッシの縁の下の力持ちになることは不可能であったのである、それが彼のエゴイズムであり、キャラクターでもある。

 

【「行き先はレアルマドリードです」】

「ほどなくして、南アフリカワールドカップが始まったが、俺はほとんど見なかった。見たくなかったよ。スウェーデンは予選落ちしていたし、サッカーのことを考えたくなかった。しかしそんな時間もすぐに過ぎ去り、帰国の日はやってきた。またもや現実に直面せぜるを得なかった。一体どうなるのだろう?どうすればいんだ?自問する日々が続いた。解決方法はひとつしかないことは明らかだった。それはバルサを出て行くことだ。せっかく手に入れた夢をこんなにも早く捨ててしまうのか……。」(351項より)

 

 シーズンが終わり、オフをアメリカで過ごしていたイブラヒモビッチにとってバルサ退団というのが色濃くなってきた。それが彼のフットボールキャリアを傷つけない最善の策であると同時に、グアルディオラにとってもイブラヒモビッチは余計な存在でしかなかったのである。

 

 バルサで初年度22ゴール15アシスト、これが彼の残した成績である。オフからスペインに帰国したイブラヒモビッチグアルディオラと新シーズンについて話し合ったが、イブラヒモビッチに居場所はなかった。ダビド・ビジャの加入も相まって、彼はクラブから出ることを確信した。そして新しいクラブを探した。イブラヒモビッチは代理人のミーノ・ライオラとともに移籍話を進めた。彼らの狙いはイブラヒモビッチマンチェスターシティもしくはACミランへと移ることであった。シティは新しいオーナーの元に湯水のように資金を使い、選手を補強する。このプロジェクトにイブラヒモビッチは虜になっていたことやイングランドという新しい環境へ挑戦するという面で魅力的であった。一方、ミランユベントス時代に移籍話が出たが資金面で獲得に前向きでなかったことに加えて、インテルからの誘いに応じた為ミラン行きはなくなってしまったという経緯があった。

 

 2つのどちらかに行くために彼らは新しく会長に就任したサンドロ・ロセイ会長に行きたいクラブがあるか?と訊かれ、「レアルマドリードレアルマドリード」と何度も繰り返した。実際にレアルマドリーは新シーズンにジョゼ・モウリーニョ監督が就任していた。インテル時代でモウリーニョ監督の元でプレーした経験のある彼はモウリーニョと相思相愛だと述べた。バルセロナにとって、マドリーに行かれることが最も困るバルサ(金銭的な意味も含めて)は価格を下げてまで他クラブに売ろうと必死になっていた。8月25日に行われたカンプノウでのバルセロナ×ACミランの親善試合が大きなきっかけになった。ピルロガットゥーゾネスタアンブロジーニそしてこの試合の主人公であるロナウジーニョが異口同音にイブラヒモビッチミランに来るように誘った。そして物事が前向きに動き出した、バルサは2000万ユーロという破格でミランに売り渡すことにまってしまった。たった1シーズンで5000万ユーロも浪費したのであった。

 

イブラヒモビッチと監督論】

 イブラヒモビッチは代表チーム、クラブチームで多くの監督に指揮された。

ユベントス時代の監督であるファビオ・カペッロイブラヒモビッチはこう表現している。

「『尊厳は得るものではない。つかみ取るものだ。』〜中略〜彼は選手と友達のようには接しない。気軽に話しかけられる雰囲気ではない。言ってみれば鉄の曹長のようなものだ」(206,207項より引用)

 カペッロとそのアシスタントであるイタロ・ガルビアーティという2人がイブラヒモビッチを成長させた。彼らはイブラヒモビッチファン・バステンのように生粋の点取屋になることを求めた。アヤックスでは華麗なテクニックやドリブルというのも彼のポイントであったが、ゴールネットを揺らす為だけにトレーニング後の居残り練習を何日も続けて行われた。50発、60発、100発とデルピエーロトレゼゲといった選手たちも過去に取り組んだものであった。

 

「イタリア流を叩き込め。お前は生来の殺し屋になるんだ。」(209項より)

と鞭を打たれたイブラヒモビッチ。彼のやり方である、「聞くが聞かない」はここでも発揮された、ゴールを奪い虎視眈々と狙う戦士であると同時に周囲に認められるアクロバティックやテクニカルなプレーも続けた。さらに、イブラヒモビッチユベントス時代で現在の身体を手に入れることになる。196センチに対し、89キロしかないことに注目され98キロまで増やし屈強な守備人に対して当たり負けない武器を手に入れたのであった。この頃の彼はカペッロに、一流の選手として育ててもらったと表現した方が正しいのかもしれない。

 

 それに比べてインテル時代のモウリーニョに対して、こう評価している。

モウリーニョは実際にスペシャル・ワンだった。その後彼がインテルの指揮官になったんだ。俺はどんなに厳しい命令を受けても従っていこうと覚悟していた。そのモウリーニョがユーロ2008の開催期間中、突然俺に電話してきたんだよ。驚いたぜ。『一緒に働くことになって嬉しいよ。会うのを楽しみにしている』、それだけだった。〜中略〜モウリーニョは本当に興味深い人物だと思ったよ。」(316,317項より引用)

 

 モウリーニョインテル1年目でいきなり選手に対する人心掌握術を披露する。選手のモチベーションを鼓舞するにあたり、色んな側面で発揮する。それはインテルでのイブラヒモビッチに対しても同じであった。ハーフタイム中でのイブラヒモビッチとのやり取りも紹介されているが、それはとても素晴らしいものであった。対比として本書にグアルディオラも描かれているが、浮き彫りになったのはグアルディオラのビジネスライクな要素としての欠落であった。この本を読むと様々な面でグアルディオラバルセロナというイブラヒモビッチにとって憎むべき存在が表されている。だが、肝心なのは彼にとっての主観であり客観的な評価ではないという点である。

 

 モウリーニョは結果的にインテルの2年目でビッグイヤーを獲得することになる、モウリーニョイブラヒモビッチは1年しかインテルで共に戦っていないがイブラヒモビッチはこう記している。

 

「俺たちに喝を入れた。予期しない動きで俺たちを刺激した。この男はチームのために全精力、全エネルギーを使っていた。俺も彼のために全ての力を尽くそうと思った。彼にはそう思わせるだけの資質があった。彼のためなら人殺しさえ厭わない。俺はおう思った。〜中略〜モウリーニョはこうやって、選手をへこませたり、自信満々にさせたりする。選手の心を自由自在に操った。」(318,317項より引用)

 

 イブラヒモビッチにとってモウリーニョはそれだけの偉大な監督であったということである。イブラヒモビッチは貧しい地域に生まれた混血の選手である、しかしそこから伸し上がる過程は並々ならぬモノであった。だからこそ、会う人、ライオラやマルメ時代の監督、スウェーデンのコーチ・監督、カペッロモウリーニョグアルディオラ、そしてメッシと様々な人に対して独特の感想を抱いていたがそれは彼の経験値に基づいた評価である。彼には彼の生き方がある、「聞くが聞かない」この流儀そそ彼を成長させた大きな要素かもしれない。

 

 

【ミラノからパリへ】

 この自伝にはミランからパリサンジェルマン(PSG)へという移籍については書かれていない。だが、読む過程でその移籍に対してある程度予測することは難解ではない。ミランへ移籍したイブラヒモビッチだったが、彼のサラリーはミランの財政状況に対して重荷になっていたことは間違いない。それに加えて金満チームの行う新しいプロジェクトへ好意的なイメージを抱いていたことである。新たな野望やその将来性という面でイブラヒモビッチは惹かれたのだろう。そしてチームメイトであるチアゴ・シウバとキャリアの最長期を過ごしたセリエAの名将であるカルロ・アンチェロッティ監督の誘いであろう。

 

 彼は現在もパリの地で輝きを放っている、キャリアの中で最盛期を過ぎたかもしれないがこれからもその貪欲な精神で伸し上がっていくに違いない。

 

 

【つぶやき】

 今回はイブラヒモビッチの自伝を取り上げました。非常におもしろかったです、購入したのは半年くらい前で久しぶりに読んだらネタになるかなーと思って記事にしました。イブラ以外にもベッカムファーガソンドメネクなど読みましたが面白かったです、面白くない本も有りますが邦訳されたものは基本的に当たりが多いです笑

 

 日本も負けてしまって、W杯ムードは下落してしまうかもしれませんがトーナメントの本戦はこれからです。それぞれの応援する国を応援しましょう。ちなみにマッチレポートの方はかなり遅くなると思います、スポーツナビの方で4試合くらいやりましたが2回観ないとエントリーのレベルが落ちていると思うので。面白い試合あったら、コメント欄に意見下さい。お持ちしております。